大感動だった「キルトの家」後編

2月4日に放送された山田太一ドラマ「キルトの家」後編を観た。はっきり言って、前編はそれほどいいと思わなかったが、後編は素晴らしかった。

前編は後編のための序章に過ぎなかった。前編は、取り壊しを1年後に控えた古い団地に引っ越してきた若い夫婦、南空(三浦貴大)と南レモン(杏)が中心でドラマが展開されたが、後編は山崎努演ずる橋場勝也が軸となり、高齢者が抱えるさまざまな苦しみ、悩みが赤裸々に綴られた。近年の山田太一作品の中でも異色の、そして代表作の1つとなる作品だと思った。

キルトの家に集まってくる8人の老人たちにもそれぞれ変化が訪れる。息子と同居するため大阪に行く下田美代(正司歌江)、病院に入ることを決めた沖山志津(佐々木すみ江)、キルトの家ではなく、自治会で行っているクーポン券を利用することを決める沢田道治(織本順吉)。キルトの家のキルトの買い手が現われる。(もう、「キルトの家」ではなくなる)せっかく親しくなった人たちがいなくなっていく寂しさに泣き出してしまうレモン。そのレモンに、勝也は「老人はこんなもんだ」と言う。大切な人も突然亡くなる、と。

後編の素晴らしかったところは、空とレモンが、仙台で遭遇した津波の体験を語り、その話を聞いた勝也が衝撃を受ける場面だ。年配者だから人生の達人で、若者より人生のことがわかっているわけではない、ということ。若い人に接することで本当の自分を取り戻し、自分を見つめなおし、今まで肯定できなかった自分を受け入れることができるようになるということを、山崎努が見事な演技で表現していた。
世渡りが下手でもいいのだ。自分らしく生きていけばいい。当たり前といえばこれほど言い古された言葉もないが、人間、何歳になっても自分の人生がこれでよかったのかと考えてしまうものなのだろう。

そして、桜井一枝(松坂慶子)が父への思いを語る場面もよかった。人間は一人ひとり異なった個別の存在である。高齢者、老人といったことばで括れるものではないのだ。それは若者でも同じことだ。それぞれ異なる境遇で生まれ、別々の人生を歩んでいる。一人ひとりの違いを理解し、そして尊重するということの大切さ。本当の思いというものを語るということも大切だ。建前だけで生活していくと、自分というものを見失ってしまうかもしれない。
織本順吉演じる沢田が、親しく接してくる野崎(上田耕一)のことを嫌いだというシーンも印象に残った。相手を傷つけるからと、本当のことを言わないのがやさしさなのか、本当の自分の気持ちを伝えるほうがやさしさなのか、難しい。

2月3日(金)の「スタジオパーク」で山田太一氏は、「家族を描く」「今を描く」「宿命を描く」の3つにこだわっていると語られていたが、「キルトの家」もまさにそのとおりのドラマだった。高齢化が急速に進んでいる日本なのだから、高齢者を主人公にした映画やドラマがもっと増えていい。しかし、高齢者だけでなく、そこに若者を一緒に描いているところに山田太一氏の懐の深さを感じた。

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